先月初頭に、かねてより闘病中であった老母が身まかりました。
数え年九十なので、寿命をまっとうしたと言えます。
本来ならば、めでたいことだと思わねばならないのですが、昨年秋に入院して以来、殆ど母に会えなかったのが未だに納得がいきません。
病院が気を遣って下さり、面会できたのが二度。
三度目は転院による移動の車中でしたが、この時はもう話すことも出来ない状態になっていました。
転院先でも面会が叶わず、昏睡状態となってから二度会えて、三度目は息を引き取った後でした。
家族に会えないうちに衰えていき、三度目のワクチン接種で発熱して、それが引き金になり病状が悪化していったのです。
決して病院が会わせてくれなかったわけではありません。
そういうガイドラインに従わざるをえなかったのです。
これは「死にかけの老人は、どうせ選挙にも行けないだろうし、元気な老人に迷惑をかけないようにしろ」という政府与党の考えなのでしょうか。
死という人生の崇高なる締めくくりを、妨害する権利など誰にもないはずです。ましてや罹れば絶対に命を失うという伝染病ではないと、既にわかっていながらなんということなのでしょうか。
やりきれない想いは、残り僅かとなったわたしの人生に、暗い影を落としています。
心の救いは、母の四十九日法要の少し前に、愛犬が子を産んだことです。
CGで動いているかのような二匹の子犬を見ていると、母の魂が子犬に宿っているかのようで癒されます。
死があり、生がある。当たり前のことをやけに考えさせられる日々です。
(令和4年5月25日)







